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究極に醜い自分の感情も明らめると受け入れられるということ♥

体のリズムを慈しんで、輝いて。
布ナプキンde女性性開花サポーター
プティラドゥの藤本さきこです

地元公園のアイビー綺麗その前で撮りました


今日はお話会レポ祭りにしようと思ってたんですが
忘れそうなので先にこちらをUP。

感情を感じきると消えてなくなると言いますが
そういえばその通りで
私、とある究極にネガティブな感情をずっと抱きしめていたのに
数年前に、認めて赦したらすっかり消えてなくなっていて
それからすっかり忘れていたことに気づきました。

昨日ですね、産院の待合室で座っていたら突然思い出したんです。
facebookではご報告しましたが実は4人目を授かりました笑また後でブログにも書きますね

あまりにも忘れていて、急に降ってわいてきました。
すっかり忘れてました。

これは書かなきゃと思ったので

書きますね

私はとても長い間蓋をしてきた、
ものすごく醜い(と思っていた)自分の感情がありました。

私ね、小さい頃から
本当によく嫌われました(笑)
人と同じことが嫌だったし
自我の塊でしたので(笑)

『私は私!あなたたちと一緒にしないで!』

が人一倍…いや、何倍も強かったかもしれない○| ̄|_
当時はその自我に気づいていなかったので
そう思ってる事も自覚していなかったし、
そんなくせに仲間外れは寂しかった。
まぁ、今思えばどう考えても
嫌われたかったんだよね?(笑)と分かる。

私は高校一年生の時に
小、中、高 一緒だった友達を交通事故で亡くしました。
私が彼女と出会ったのは小学校に入学してすぐ。
同じ音楽室の掃除当番だったんです。

あまりのインパクトにハッキリ覚えています。
「私ね、悪魔の子だから早く死ぬんだ。」
って言われたから。

13日の金曜日生まれだとか何とか言っていました。

まさか本当に早く亡くなるとは思っても見ませんでしたが
小学校に入学したての1年生で、突然そんな事言われたのでビビりました。

この子怖い!って思いました。
それが最初の印象。

彼女は

私とは違って、
いつも人気者の子でした。
私とは違って、彼女には
いつも周りにたくさんの友達がいました。
彼女が好きと言えば
周りの子はみんな好きと言いました。
彼女が嫌いと言えば
周りの子はみんな嫌いと言いました。
絶対的な影響力を持っている子でした
羨ましかったです。
いつもみんなに好かれていいなぁって思いました。
私がその子だったら、どんなに楽しいだろうって思いました。
私は
中学生の時は先生にも嫌われていて
とっても嫌な思いをたくさんしました。
たくさんの子が
私を嫌いなので自然に私は『嫌われ者』のレッテルを、先生にも貼られていることに気がつきました。
先生の感情で
私をジャッジしているのが伝わり
学校が本当に嫌いでした。
嫌われ者の私は

『好きな人同志でグループを作りなさい』

という指示が大嫌いでした。
だって、私の事を好きな人がいないし
そしてそれを見てニヤニヤしている先生の顔も忘れられない。

特に嫌いな女の教師がいました。
呼ばれて何度も理不尽なこと言われました。
「お前嫌われてるのわかってるだろう??」
「お前自分が分かってるのか???」と何度もニヤニヤと言われました。

心の中で何回も殺しました
惨殺です(笑)

友達に嫌われるのは悲しみ、寂しさだったのですが
先生に嫌われるのは怒りでした。
本当に何回も何回も頭の中で殺しました(笑)

いや~~~暗いですねっ(笑)

そんな中学生時代だったので
卒業し、高校進学はものすごく自由になれるように感じました。
新しい世界が待っていると思いました。
とっても期待していました。
きっと新しい世界の友達がたくさん出来ると思いました。
しかし、
私が高校一年に入ってすぐ
何がきっかけだったのか分かりませんが
その、人気者の彼女にすごく嫌われるようになりました。
彼女の影響力はやっぱりすごくて、
高校生になってからもあっという間にクラスの女子の中心になっていました。
せっかく出来た新しい友達も、
その子が私を嫌いなので
あっという間に口を聞いてくれなくなりました。

入学当初たくさん出来た友達も
いつの間にか私を嫌いになっていて
私はまた孤独感を強くしました。
この間まで一緒にお弁当を食べていた子達が
よそよそしく口を聞いてくれなくなる寂しさ。
ヒソヒソと陰口を言ったり手紙をやり取りしてる悲しさ。
私は毎日学校に、行くのが嫌になりました。
地元が同じなので、通学バスでも無視され
あまりの寂しさに、バスに乗りたくなくて
お父さんに学校まで送って貰うようになりました。
胸が押し潰されそうだった。
せっかく高校生になって新しい人生が開けると思ったのに
また嫌われ者かぁ・・・って思った。

もう嫌われたくないって思った。

悲しくてすごく泣いた。

※何度も言いますが、今思うと
嫌われたかったんだよね??と思います(笑)

そんな日が続いた夏休み前のある日
彼女が突然交通事故で死にました。

私の事を嫌いなまま、死にました。
なんだか口をきかないまま、死んでしまいました。

でね、もちろんものすごく悲しくて
お葬式でも、同級生や幼馴染たちとたくさんたくさん泣いて
友達が死ぬのってこんなに悲しいのかとか
小学校から今までの思い出や
中学の修学旅行の思い出や(同じグループだった)
もう涙出ないってくらい泣いて泣いてフラフラになった。
この悲しみをどうしたらいいのか分からなくて
仲間同士でひたすら一緒にいて
男も女もみんなフラフラしてた。

本当に本当に悲しかった。

でもね、その悲しみの中に

私、

0.00000001%くらい

ホッとした感情を持ってしまったのですよ。

いや、0.0001%くらいだったかもしれない。

いや、1%はあったかもしれない。

友達が死んだのに
ホッとしちゃったんですよ

どんなに打ち消しても打ち消しても、
悲しみの中にハッキリと感じてしまったホッとしてしまった気持ち。

これね、15歳の私には
荷が重すぎました。

ものすごくものすごく重い罪悪感となって
ずっとずっと自分を責める材料になりました。

こんな私、そりゃ嫌われるわ、と思いました。
生きてる価値ない程最低な人間だわ、と思いました。
自分の事が大っ嫌いになりました。

こんなに醜いと思っていた私の感情ですが
ずーーっと感じないように蓋をしてた事に
数年前に気が付いて

感じて感じて
いっぱい泣いて

30歳間近にして(笑)

今更だけどいっぱい彼女に「ごめんね」って言って
「許してね」って言って

その否定してた自分の感情「ホッとしてしまった気持ち」を認めた。
そしたら初めて明らめる事が出来たの。

諦める、じゃなくて 明らめる

感情をジャッジせずにただ明らかにみる。

ようやく
仕方なかったんだなって思えた。

あの頃の私、自分も守りたかったし自分を大好きでいたかった。
彼女に嫌われるのが怖かった。
みんなに嫌われるのが怖かった。

だから、仕方なかったんだなって思えたんです。

ものすごく醜いと思っていた「ホッとしてしまった気持ち」も
ただ湧き上がっただけで
良いも悪いもなかったんだなってようやく思えたんです。


そしたらすっかり今まで忘れてた!!

だから、感じきるって
本当に大切で

どんなに醜いと思っている感情でも
どんなにネガティブだと思っている感情でも

蓋をしていると
いつまでも「感情の否定=自己否定」になってしまうの。

私にはずっとこの思ってはいけないことを 思ってしまった罪悪感が
奥底で私の人生を阻めていたんだけど

これがあった上で

前に書いたこれらの体感があってサゲサゲ↓

知床オホーツクの満点の星空と波と、鬱。今までに「死んでもいいかも」と思った2回。

死んでもいいかなって思った鬱の時。私がいてもいなくても宇宙は何も変わらない。

今に至る、みたいな。

何か思い出したから書きたくなってただ書いたけど
長々と取り留めのない文章
になっちゃいましたね笑

だからね。何が言いたいかというと
大丈夫だよって事が言いたいのです。

昔の自分に対してもね。

感じていいんだよってね。