『男は踏み台』という言葉には、限りない尊敬と愛と感謝がある話
恋愛観についてご質問を頂きました
ので、ちょっと考えてみました。
いつだって、私に新しい世界を見せてくれたのは男だった
それは、私の中の男性性です。
私の中の、豊かな女性性が、何かを感じ、感動し、満たされ、何かを生み出したいと思ったとき
それを行動し実現化するのは、私の中の男性性。
考え、行動し、私の願いを実現化する男、超カッコいいよね
自分で自分の中の男に
「カッコいい惚れ惚れする素敵大好き」って思います(笑)
その実現化した現実でまた女性性が感じ、感動し、満たされる。
男は踏み台だよね。
昇った先でまた満たされるのだよね。そして生み出していくのです。
私の中の男性性は、私の中の女性性を感じさせてくれるのです。昇らせてくれるのです。
それがこのあいだも書いた
成功の秘訣♪女性性を完璧に満たしながら男性性を使って仕事する
にも繋がります
でも、そんな私をまるまるっと引き上げ、
(いや、押し上げ?)
新しい世界を見せてくれるのは、やっぱり現実の男性。
それは物質的な意味でもあるし精神的な意味でもあります。
女性にはない、
現実化へグイグイ突き進む力、
一定のモチベーション、
どっしりとした包容力、
ぶれない軸。
やっぱり、
「カッコいい惚れ惚れする素敵大好き」って思います(笑)
信頼して委ねる事ができて
安心して甘えられる
だから、一般的に「男は踏み台」なんていうと「なんて高飛車なオンナ!」と思われそうですが、
本当の意味での【男は踏み台】という言葉には、
限りない尊敬と、愛と、
感謝が含まれているのです。
(実際の男性に対しては、男と女の恋愛のアレコレはもちろん付随してきますし(笑)
昇った先で、もう私には必要ないな、と切なくもお別れする事もありますよね。)
男に負けたくない、
男に甘えられない、
男を尊敬するなんて悔しい。
の人は
男性にそう思う前に、
自分の中の男性性も否定しているし
って事は豊かな女性性も否定しているよね。
自己否定。
自分自身にも、尊敬も愛も感謝もないってこと。
まぁどっちも(自分の中の男性性も女性性も)ずっと低いままだよね。
っていう事を、車でボケーッと思いました。
ディズニーの中で一番好きな曲は
「A Whole New World」
そんな感じ
もちろん男性に対してもだけど、自分自身の中でも同じことが起こっています。
みんな、きっとそうなのだと思います