真似っこは嬉しいよ。
その分、自分のスペース空くよ。
そして、人に真似するな、って言えば言うほど苦しくなるのは自分だよ。
だって誰でも、本当に誰でも、全て0からってあり得ないんだから。
許せば許すほど、
自分自身が宇宙の創造主って分かるよ

どんなに真似っこされても、しても、自分は自分にしかなれないってどんどん気付いていくから!!
「ムカつく!」って思ったなら、とことんその気持ちを感じてみる。必ず。
なぜそう思うの?
なんでこんなにムカつくの?
それね、自分の中にある「がめつさ」だから。
「自分の分」取られた、と感じてたり
「自分の分が減る」と感じてたり
でもそれって幻うんこ
で
「自分の分」なんて実はどこにもなかったり。
「自分の分」て思ってるから、世の中のもの、宇宙のもの、自由に豊かに受け取れなかったり。
誰だって、あると思う。そういう気持ち。
でも、自分のなかのここに気づいて自分の中から排除していけるかどうかが
豊かさ・幸せが溢れまくる人生
に繋がって行くと思うんです

私も以前こんな記事を書いていました。
で、これを読んでくれた方が
布ナプの製造販売を始めたり
オルゴナイトやメモリーオイルの販売を始めたり
わざわざメッセージくれる人もいたりして

で、今また思うけど、どう見ても、どう考えても
やっぱり競争にはならないんだよね。
だって絶対に、全く同じものにはならないんだもん。どんなに同じようなものを扱っても、同じようなものを作っても。
私がもともと《ハンドメイド》が好きなのは、私の中に溢れる世界を、目の前に創り出したいから。その手段。
それは昔、私の手から生み出していたものが、今では会社単位、企業絡みでの生み出しになっているんだけど
そもそもそれは
私の中にあったもので
実現したそのものを、誰かが真似したからといって
私そのものにはなれないし
真似するな!
私の分、取るな!
なんて言葉は自分自身への言葉として、いのちへの冒涜として、自分自身をどんどん小さくしていくの。
人に許せば許すほど
自分にも許可が出せるんだよ。
自分に許せば許すほど、人にも許可が出せるんだよ。
だから、逆に自分の世界の
ブスやがめつさを許すと
自分にも許してしまう事になるの。
だからいつも、私が「『排除』は自分自身にしてる。」っていうのも、そういう事なんですよ。
で、大好きなココシャネルもこんなこと言ってます
「本物はコピーされる運命にある」
「時代の空気をいち早く捕まえるのがデザイナーの役目だとしたら、他の人たちが同じことをしたって不思議ではない。私がパリに漂い、散らばっているアイディアにインスピレーションを得たように、他の人が私のアイディアにインスピレーションを得ることもあるでしょう」
「わたしは自分の創り出したアイディアが他人によって実現された時の方が嬉しくさえ、ある」」
「模倣の中には、ちょっとした愛情が含まれているから」

模倣すらも自分への愛にとして受け取れるくらい
【大好きだけの世界】で
自分自身を愛していきたいですよね