勘違いご自愛について書かなければいけない④「大切に扱われなければ幸せではない」という錯覚
ペニンシュラスパではアロマトリートメントと新メニューのスペインのフェイシャルを受けたんですがすんごい顔が変わってびっくりしました!笑
├「勘違いご自愛」について書かなければいけない①「香水をつけない女に未来はない」
├「勘違いご自愛」について書かなければいけない②「私」に酔ってると全てを取りこぼす!
├「勘違いご自愛」について書かなければいけない③ほんとにその「悦〜」気持ちいいか?
3部作で終わる予定でしたが
リブログしてくれた方の記事を紹介させてください
例えば、何かが起こった時に、そこに執着しない人が目の前にいたら、
勘違いご自愛している私は、パニックなんです
何故なら、私にとって大切な優越感の意味が無くなってしまうからです。
それがご自愛だと勘違いしているもんだから、必死に自分の優越感を守ろうとします。
だから、マウンティングするんです。
あなた、損してるよ?え?諦めてるの?私はこんなに大切に扱われてるよ?もっと自分を大切に扱ってあげたほうがいいよ!
って
このマウンティングしちゃってる私は、
結局、大切に扱われないと幸せではないと思っているんです。
このままの私じゃダメだと思ってるから、その劣等感を打ち消すために優越感をなんとか感じようと必死になるんです。
なんて、自分のことをバカにしてるんだろう。
なんて、自分のことナメてるんだろう。
自分のこと、本当は、本気で愛してないじゃん!
って、思いました。
(全文はこちら)
上っ面の「勘違いご自愛」をしちゃうと
大切に扱われなければ幸せではない
という、本末転倒な設定になっていくんです。
今度は大切に扱われることに執着して
ご自愛してるはずなのに苦しいんです。
強迫観念に駆られます。
ちょっとでも大切に扱われなかった!ということがあればものすごい怒ります。
これが「私の幸せあなた次第」の八つ当たりの怒りですよ。
これで書いたように、
「ぜひ、サービスをさせてください!」と言って頂けるような人になると決めました!
「ホテルの人のちょっとミスした対応に、すごい偉そうな態度をとったり、すごく怒ったりする人を見るとすごく嫌な気持ちになる。私は客だ!丁寧に扱え!という態度、私はとても嫌なんです。」
いくらお店の人であっても、接客のプロであっても、
間違いはありますし、事情はありますよ。
「ちょっと接客が悪くても嫌な気持ちになるな!」ってことじゃないですよ。
「悟りを開いておおらかに受け容れろ!」ってことじゃないですよ。
しかし、そこで気が狂ったようにクレームを入れたり
怒ったり、勝手に人を見下して可哀想がったりするのは、
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「大切に扱われないと幸せじゃない」という設定があるからなんですよ。
ペニンシュラのマンゴージュース大好き!
これはずっとずっと苦しいんです。
私が設定変更で伝えている「ご自愛」は、そうじゃないんです。
人も現実もコントロールできません。
そこで自分の幸せ度を測ってる限り、「安心」して生きていけないんですよ。
もう目の前にどんなことがあろうとも、自分だけで「安心」してるから、ちょっと接客が悪い人に当たっても「幸せ」には関係がないんですよ。
だから、「あ〜残念だな」ってちゃんと感じられるんです。
かといって、「残念」だったからって不幸ではないんですよ。
そのままでもいいんですよ。
そのままでもいいことが「ご自愛不足」でもないし
わざわざクレーム入れて詫びさせることが「ご自愛」でもないし
「残念でした!ムカつきました!」と伝えることが「ご自愛」でもないんです。
※ここが「本音を言うブーム」の「勘違いご自愛」です。
それは本音じゃないんです。
「安心して繁栄したい」というその宇宙につながる感覚こそが本音なんです。
ワンネスです。誰でも一緒なんです。
言わなくても本音はわかるんです。
もちろん言う時もありますし、言うことで気づきがあることもあると思います!
でも言わなければいけない!ではない。
言うことこそが「ご自愛」でもない!
うちにアロマいっぱいあるけど、家でもつかてみたくてついに買ってみました
アロマはついついたくさん買ってしまうので溢れてしまう〜〜
「残念」とちゃんと感じるからこそ
「次はどうしようかな」と未来に向けて繁栄に繋げられるんです。
「残念という感情は幸せではない」という設定だから
ずっとずっと上っ面の「優越感(同時に劣等感もセット)」に持って行かれるんですよ。
目の前の世界を感じることから、逃げ続けるんですよ。
設定変更で言えば「魂はそれでめっちゃ楽しんでいる」ので
「本当に楽しいならいいんじゃない?」なんですが、
やはり女性にはハッピーに安心して過ごして欲しいなって思うんです。
苦しそうだから。
私の繁栄の感覚です。
何のためのご自愛なの?
パートナーからのプレゼントや
かけてもらう言葉や過ごした時間、
学歴や収入や肩書き、
アクセス数や集客数、
着てる服、
旦那の職業、
乗ってる車、
持ってるバッグ、
子供の数、
人脈、
こんな数字で測ったり、
人と比較しないで安心していつも幸せに暮らしたいからじゃない?
その女のどっしりとした「安心して繁栄したい」という産む&育みの愛を、
「投影」に向けず「繁栄の感覚」として、受け入れたらいいのにと思うんです。
これが「藤本さきこの中にある問題の投影」とばかり言いたくなったり
「罵っている」と感じるならば、その「自分」を疑って欲しいんです。
「私は傷ついた!」とばかり言ってるように感じるならば、そう感じる「自分」を疑って欲しいんです。
なぜそう「投影!投影!」言いたくなるのか?
ここで「投影の法則」を使って欲しいんです。
「投影」という言葉をどうしても使うのならば
「問題」ではなく「理想の投影」なんですよ。
自分の中から聞こえているんですよ。
目の前を解消するものではなく
未来にどう繋げていくか?のインスピレーションなんですよ。
そうやって、女同士応援しあって繁栄していったらいいじゃないですか。
まず自分から、安心して生きていくことはできるのだから
「自分で勝手に幸せで在る」ことは、本当に本当に何が起こってもブレません!
ブレないとは、感情をフラットに、どんなことがあっても穏やかに「悟る」ことではなく、
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どんなことが起こっても私の幸せには差し支えないという在り方です。
本当に差し支えないから、ちゃんと怒ったり笑ったり泣いたり悲しんだりできるんです。
「傷ついた、悲しかった、以上!」
でただ繁栄のネタにできるんです。
そのまま置いておいても、別に誰かに詫びてもらわなくても
私の幸せには差し支えないからです。
自分で勝手に幸せで在る方法はこれでもシンプルに伝えてます
リラクゼーションルームで読んでた雑誌と、翌日ある件でお会いした美容のプロのお話で
今年は日焼けしようかな!と思いました。本当は黒いの好きなんです。私。