奉納はセンスがなくて大嫌い❤️
ずっと思ってた事を書こうと思いました。
あの、「奉納」とか言われるのあるじゃないですか。
「お金ください!」ってやつ。
銀行口座とか載せるやつ。
私、あれ大っ嫌いなんです。
センスなくて。
一度もやった事ありません。
「ワクワク」に使う練習とか
「受け取り力」を作る練習とかみんな思ってると思うんですが
だいたい、平気で何の疑いもせずにそれを「ワクワク」や「受け取り力」だと思ってしまう設定がまず「貧しい設定」なんですよね。疑った方がいいです。
私神社が大好きなんですが、あれを「奉納」とか言っちゃうセンスも嫌いだし
だいたい、あれでお金の設定変わって、何千万も稼げるようになった人っているのかな?
まぁこれは好みの問題なので
私の美学といえば美学なだけですけどね。
私のいう美学とは、何が好きであって何が好きではないかを限定する事。
何かで自分を縛る事。だから要するに私の好みです。
いい、悪い、じゃないですよ。
でもね、その「お金ください!」って言って見て、それを見てお金をワクワクする人にあげてみて、
で、お金に愛されるようになった??
私、それを見かけるたびにずっと嫌で、嫌いすぎて、
「これは私の何かのブロックなんだろうか?」とか・笑
いろいろ見つめて見たのですがそれからも
「奉納が嫌いな私」はますますお金に愛されるばかり。
神社への奉納は大好きですよ![]()
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櫛引八幡宮の夫婦杉は、是非なでなでしてくださいね![]()
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今月は月商7千万円。
半年ちょっとで
年商2億円も突入しました![]()
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どうやらやっぱり、私の「お金のブロック」ではないらしい。
でね、思いました。
・いるだけで価値がある
・存在給
この言葉を履き違えてるんだろうなと
「いるだけで価値がある」
というのは、
「無償で何かを貰える存在」
という事ではなく、「いるだけで何かを与えられる存在」
だという事。
もちろん、受け取り下手だったり、貰うことに罪悪感があったりする人もいると思うんですが、それはね
無償で貰える存在。お返しをしなくてもいい
ということではなくて、「必ずしも測れるモノとの交換じゃなくてもいいよ」ってことだと思うんです。
返せないから貰えない
あげたら返してね
っていうがめつい設定は、もちろん変更したいところではありますが
かといってそれは、
無償でもらってもいいし、垂れ流してもいい、って事ではなくて
私という存在を通して、何か与えられるモノはないかな?
という精神のこと。
これがなくてはお金に愛されるわけもないし、本気のただの打算的ながめついゲスだと私は思っています。
そしてあげる側の方も、だいたいは
「ワクワクに使うと入ってくるっていうから」っていうがめつい精神ですよね。
純粋に与える、寄付や投資というのは、本当に満たされていて余裕がある人がするもの。そうじゃない人は、まず自分自身に投資しよう。
満たされてない人は「あげる事がワクワクという自分への投資」なんてありえないですからね。まずは自分に積み上げてから。絶対に。
宇宙は完璧なバランスを保っています。
必ず「ゼロ」の状態です。
私は
返せないから貰えない
あげたら返してね
のがめつい設定は変えようってよく言ってますが
それは、がめつい50:50のプラマイゼロの精神の事。
損しないように、損しないように、という
出し惜しみの50:50、プラマイゼロ、
の設定は変えたほうがいいけれど
与え合うという姿勢。
与えあってゼロの世界。
精神においてフェア、という意味で、フェアの世界は大好きです。
自分に与えていない人は現実世界も潤っていませんし、
それなのに「(循環を期待して)人に与える」なんて
いやらしすぎて反吐が出ます。
ワクワクに使えば自分にも来るんじゃないか?
人に与えたところを神様が見ててくれてきっといい事あるんじゃないか?
気持ち悪い打算の絡み合い。
本気でやりたい事があるなら、「それがきっと私から溢れて、誰かも喜ぶに違いない!」という「与える精神」がきっとどこかにあるはずです。
それを堂々と融資を募ったり
応援してください!と何かのシステムを作ったりもせず
「返しません」とわざわざ公言したりするのは
自分に対しても失礼だと思うんだよね。
それよりだったら
きっと私の作った世界が、いつかあなたを幸せにしますね!!
と堂々と言えちゃう方が私はずーーーっと大好きな世界。
期待に応えたい!っていうのと
返さなきゃ!っていう罪悪感とはぜんぜん違う。
まず、自分自身の人生に夢中になる方が先。
「そんな私」が、やりたい夢があり、投資してもらう。
必ず夢を見せます!!私自身にも、あなたにも
っていう本気。
お金ください!の「奉納」ごっこは
だいたいの人が「無償で」を意識しすぎてて
そもそも「無償で」を意識しちゃうという事は
貧しい設定だという事。
与えようという精神がないもんね。










