『怒り』の神聖な生命力とセクシーさ
『怒り』について。
『怒りの種類の、見分けがつかないのは、庶民だから』
(ちなみにNo.2は石井竜也でNo.3は桑田佳祐です・笑)
松ちゃんは昔っから、怒りのエネルギーをあの天才的な笑いに変えています。
生命力です。
セクシーです!
証拠に光ってます。
もともと「怒り」だったものです。
細胞が活性化する、笑いのパワー
変える事の出来る少数派だからです。
投影もクソもないんです。
「嬉しい」「楽しい」「悲しい」「苦しい」は出して良くて
「怒り」は出しちゃダメなんて、ないです。
別に、出してもいいけど、多数派の怒りは、下手打ちになるしかありません。
出せば出すほどに、ボロが出て、自滅していきます。
ですので、どうぞ感じ切ってください。
この違いが分からないのは、その人自身が多数派だから。
ただの違いです。
素直で純粋な人だな!という認識でした。
沙織さんの『怒り』は、笑えます(笑)
なんでこんなに、怒りを面白く表現できるの!ってほど!
松ちゃんと同じなんです。
だから、こういうのがなんでなのか分からないんだけど
大衆の評判より自分の価値観を大事にする生き方❤
自尊心とは、何を言われても怒らない事ではありません。
そう思わないとやってられない現実がそこにあるってことです。
そもそも暴言を浴びせられる私、という意味で、その今いる世界を疑う余地があるでしょ?
どっちでもいいよ?
疑え!ちゃんと吠えろ!
そのままの世界にいたまま、自分さえ自分を愛せれば、許せるというのは
ただの不感症ですよ
よく、「マトモな人ならこういう「怒り」を書きません」とか「尊い女王様が、市民に怒りますか?」とか書いてくる人がいます。
そもそも
マトモな人とか
まず引き合いに出してくるセンスが意味不明すぎて庶民中の庶民だと思いますが
これを世間では「明確な設定」などと言います。
自分の「怒り」に価値があるとわかっている。
すでに、全ての感情が魂からのストレートな感情なので、
何が自分の強みであり、価値であるのか明確に魂レベルでわかっているんです。
だから、そもそも全ての人をターゲットにしていない。
とっくに昔に
すでに自分自身と世間を明確に見ているんです。
こういう人を、しっかり見て、疑えよ!
ということを常々私は言っているんです
「自分の見方(自分の世界からの視点)が全てではい」と。
自分の世界の中で、いろんな角度からみる、という意味ではありませんよ。
設定変更とは、
他の世界の存在を疑ってみたら、ということです。
他の世界からの視点の存在を疑ってみたら、ということです。
とっても優しい通訳綾子さんの「一般向け」の解説はこちら